再度物語の海へ
初めはなんとなく不機嫌な妖精爺さんをNSP粘土で作ろうと始めたが、彫塑制作を進めて行くと名前を付けたくなり取り敢えず妖精カルルとして性格や来歴に思い巡らせていたら漠然と物語が浮かんで来た。
このような創作の方法は初めから全体が見えていたわけでもない。日々何らかの関わりを持って触れているとイメージはあちらからやって来るようだ。やはり何でもいいから日々作業をすることに尽きる!
通常は計画を立て制作を考え実行していたが、今回のように成り行きでモノからイメージが出るに任せて制作を始めるのも面白い。
ただの土塊が時の流れに任せて触り続けると、一個の人格を持った強い存在に変貌し物語の世界の中で動き始め、その周りの背景や出来事が次々に現れてて来て楽しい時間の中で浮遊している感覚を覚える。
そこで、今子供達に話す昔話のように物語を考え始めている。
構想は人間の薬剤師と妖精カルルが「薬草辞典」の編纂を共に協力して完成させる、と云う他愛もない辞典制作の話だが、物語に出てくる背景や植物や昆虫等、イメージの時代背景にある映像と探したりと、今までの日常生活のサイクルが同じ事をやっても違った日常に変化していく。
閉鎖的で怠惰な日々の連続の中で、物語への憧憬は決して現実逃避の行為でないだろう!
「指輪物語」を書いたJ.R.Rトールキンは著書「妖精物語について」の中で、
『人間だけに許された「空想」「準創造」と云う行為。その結果、生み出される「妖精/ファンタジー」これの世界に踏み入れることを「逃避」とみなして軽蔑する人々に向けてトールキンは説く。「第一の現実世界から準創造された第二の世界に入っていくことで、かえって新鮮な目で人間世界を見直し、その価値を再発見すことができる」・・・と
そうれが、文学における虚構性の意味を明らかにするとともに、近代文明批評につながる・・・と』述べている。
土塊をこねていたら、人らしき頭部が出来、耳を大げさに大きくしたら、妖精の頭部になり、名前を付けたら性格が生まれ、この妖精の来歴が生まれ、そして今・物語は向こうからやってきている。
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