植物画思索項
最近アーンティク植物画の本を手に入れて喜んでいる。
物語の海への薬草図鑑の挿絵をどんなふうに表現するか随分迷っていたが、物語の時代背景を考えるとやはり古風な植物画が適切だと思い、まずは模写の練習を始めた。画像で見るアーンティク植物画は趣のある画面で、18世紀以前から銅版画での線彫りのあとて着彩での作品が多く現存し時代の暖かみを感じる。
薬草の歴史は古く確かメソポタミアの粘土板からも薬草の使用方の記録が残っている。
植物画は最初は薬草類を探し求める人々を助けるための役割を果たしていたが次第に写実性を要求され、瞬く間に満たされた。2000年前に古代ギリシャの医者で植物学者ペダニウス・ディオスクリデスは、薬草を纏めた本草書「薬物誌」(マテリア・メディカ)を紀元1世紀に編集した。
元々はテキストのみであったが、本草学者のクラテウアスが描いた植物の精密画約400種がのちに取り入れられた。この頃から植物画の始まりだろうと言われている。クラテウアスの原画は失われたが、繰り返し模写され続け、その度に劣化され続けてきた。植物画の入った「薬物誌」は中世の時代に膨大な写本が作られ、一部が現存している。6世紀以降の無数の写本や本草書の中に部分的に遺っている。中でもコンスタンチノーブルで発見され、ウイーンの帝室図書館に収蔵された「ウイーン写本」が有名である。
とここまで書き連ねたが、やはり気になるのは画家は植物を前にした時どのような気持ちで制作に望んだろうかと云うことだ。
ラスキンの言うように「一枚の葉を完璧に描くことほど難しいものはない」
植物を前に作業に向かう作者は科学の奉仕者か、それとも芸術の奉仕者か?このジレンマが作業中絶えず生じるだろう。
しかし画家は明らかにどちらにも仕えることを学ばなくてはならないだろう。
この科学的作業と芸術的作業が混合している画面の要求は時には正確に時には美的にと主観だけで絵を描く作業とは甚だ遠い作業の連続である。
と考えていたら、右脳と左脳の件を連想した。
乱暴に分けるなら、右脳=芸術的・左脳=科学的と分けられる。2つの脳を結ぶのが脳梁と云われる太い神経線維の太いケーブルを通じてお互いの現実認識を共有したり、伝達したりしている。
自分自身を省みるとどちらかというと右脳を優先に物事を観察してきたようだ。
今後植物画を通して左脳の働きを良くする訓練をしようと考えている。
植物学は「美」の科学である。 ジョセフ・パクストン卿
しかし、植物画の訓練は根気のいる長い時間を要求する、長い道のりだと思う。
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